いい歳して、『今頃、書道』を始めました。
書道といえば小学校時代の習字を思い出します。
筆文字を習ったのはそれが最初で最後でした。
中学校では習字の必修はありません。
高校生時代、私の母校の場合は美術か書道の二者択一が必須だったのです。
私の場合、書道ではなく美術を選択しましたので、習字や書道の毛筆は小学生以来 行っていないということです。
本当に全く筆を持つ機会がなかったかと問われれば正確にはそうでもなく、ある時目標なんか打ち立ててそれを『格好の良い字で書いてみたい』と思い立ち書いてみたことはありますが、ろくな出来栄えの筈はなく、そのまま自己嫌悪に陥り終了しています。
筆の使い方に慣れていないのに綺麗に書けるはずがありません。
それ以前に、えんぴつで書いて満足な文字が書けるかと問われればなおさらだと考え直すのでした。
文字の劣等感は最悪
文字の劣等感は多くのデメリットがあります。
私の場合、年少期からずっとこの劣等感に苛まれ続けていました。
テストの時、署名の時、などその機会は随所にあります。
その都度、劣等感が顕在するので心理に与える影響は絶大です。
学生時代に限らず、社会人になってもそれは付いてまわることになります。
いくらパソコンが普及したからと言っても、文字を書くことは多くあります。
避けようとすればかなり避けられそうですが、避けることも心理に悪影響を及ぼしそうです。
日常でも然りで、年賀状なども最悪です。
年賀状はネットを利用すれば全ての文字を印字してくれるサービスもありますが、逆にそこまでして年賀状を書くものなのかとも思ってしまいます。
年賀状以外の手紙も受け取った時に返事を書くことを避けようとする心理が働きます。
業務上でも文字を書く機会はあります。
ある組織に入り、日報を手書きで書くなどでは最悪でした。
文字に自信がないと余計に誤字が多くなります。
書き直しや綺麗に描こうとして間違えるなど、スパイラルにハマるともうマトモな文字など書ける筈がありません。
内容も不注意になってしまいがちです。
周りの人やこれを読む人がこの字を見て悪く思わないか気になるのです。
上手い文字のメリット
文字の自信はさまざまな自信に繋がります。
上手い字だと徳だなと思ったことが幾つかります。
私が感じた代表的なものをいくつか書きます。
社会コミュニティーで
ある社会コミュニティーで署名を整理する係に就いたことがあります。
60人ほどの会員がいるコミュニティーで全員の署名を確認していました。
その中にひときわ立派な文字を書く人が3名ほどありました。
私は上手い文字はどんな字なのかをまったく知りません。
それでも立派な文字だと感じました。
一つはフェルトペンで書いた行書の文字です。
一つは筆ペンで書いた文字。
一つは筆文字です。
フェルトペンはよほど上手くなければ印象には残りません。
上手いと感じた人でした。
筆文字の署名はインパクトがあります。
また、毛筆書体に自信がなければ筆や筆ペンでは署名しません。
ただ者ではないと感じるすごいインパクトがありました。
その他、ボールペン字の人は多数ですが、殆ど印象には残りませんでした。
政治の場面で
2010年頃の政界で、亀井氏と福島氏が連立を組むという一件がありました。
(このブログでは本名フルネームの記載をできるだけ避けています。)
その両者が契約書にサインをする場面がTV放送されていたのを見たことがあります。
両者とも著名な政治家で、そのお二方がカメラの前で著名するというニュース番組でした。
最初に著名したのは亀井氏です。
著名欄一杯に立派な筆文字です。
政治の世界の契約書だから署名欄は意図して大きくしているのでしょう。
その欄を有効に使う立派な筆文字です。
次に著名するのは福島氏です。
福島氏はマジックペンを持ちながら亀井氏の文字の見ています。
圧倒されてしまっているのです。
マジックペンは一般に言う名前ペンの様な線質のものだったと思います。
(記憶が曖昧ですが、とにかく筆文字に比較すると他の筆記具はそんな感じです)
福島氏はなんらかんだの言い訳などをしながらサインを終えました。
福島氏の字が上手いか下手かは分かりませんでしたが、両者の間に大きな格差が見て取れました。
事は政治の連立で、お互い対等な契約なのですが、甲乙は一目瞭然です。
亀井氏はこの著名について偉そぶるなどの態度は全くありませんでしたが、見ている方としては両者を見比べます。
本来、まったく優劣を決めるにおいて関係のない一件の筈なのですが。
野村ご夫妻の番組について
野球界でノムさんといえば
『勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。』
など、他にも多くの名言を示したあの故野村氏です。
一時ボヤキのノムさんとか言われた人ですが師匠と仰ぐ人が多い徳人です。
ノムさんの奥さんは一時期、社会現象となるほどの言い争いで世間を騒がせたことがある『サッチーさん』です。
私としてはサッチーさんはノムさんやその関係する人に口出しをするということなどから、まったく良い印象を持っていませんでした。
そんなノムさんご夫妻ですが、ある時、TV番組の書道対決に出場していたのを偶然見ました。
ノムさんは立派なことを多く言っているので相当『立派な字』を書くのだろうなと思いながら期待して見ていました。
そしてサッチーさんは付き添いだなと。
さて、ノムさんは予想通りの立派な作品を書き上げました。
当然の出来事でした。
その後、サッチーさんが書くというので、
『えっ? どんな字を書くのだろう? まあ、見てみたい』
と一瞬 興味が湧きました。
すると驚きです。
サッチーさんがノムさんに負けない立派な作品を書き上げました。
それ以上かもしれません。立派な作品です。
こういう場合、比較してしまいます。
私にはこの時サッチーさんに対するパラダイム変換が起きました。
サッチーさんもいろいろとあったけれども、本当は筋の通った立派な人なんだと考える様になりました。
まとめ
私は近年このようなことを見ており、書の効果を知りました。
書は見る人に圧倒的な心理作用を与えます。
書にアレルギーがあった私だから特に強く感じたことだというのはあるのでしょう。
書にアレルギーのない多数の人には感じないことかもしれません。
しかし、アンコンシャスであっても、人の心理に多くの作用をもたらせていそうです。
書を身につけることには多くのメリットがあります。
遅すぎるということはありません。
いつでも始めれば良いことだと思います。
最後にノムさんの言葉をかりて閉めさせて頂きます。
『勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。』