ここ6、7年ほど近所に猫が増えています。
私は同じ地域に長年住んでいるのですが、のら猫がまったく居なくなったことはありません。
必ず一匹や二匹はその辺にうろうろはしていました。
そのような状態の時には、たまに餌を与える人も居たかもしれませんが、固定化していなかったのを見ると、習慣的には与えていなかったのでしょう。
のら猫に餌を与える行為は動物愛護の観点からは無責任であり、地域社会から見れば甚だ迷惑な行為として認識されていたということも餌付けをしなかった理由でしょう。
そのような環境で、少数の野良猫は健気にも自然に生きていたのです。
猫が飛んでいるトンボをひょいと捕らえる姿も見たことがあります。
ところが、最近は猫に白昼堂々と餌付けを行う人たちが増えました。
増えたということは一人ではないということです。
猫だけではなくカラスにも。
猫やカラスは習慣的に与えられる場所、与えられる時間に集合しています。
近所に住む猫については10匹になりました。固定化もしています。
ではなぜこの様な行為を堂々とする人が増えたのでしょうか?
私はこの行為には承認行為があると考えています。
承認行為とは、その人が行う行為を見て、黙って見過ごすこと、見て見ないふりをすることなどです。
もっと分かりやすくいうと、『咎め(とがめ)』ないことです。
社会がその行為を無意識に承認してしまっているのです。
マスメディアにも問題があります。
『のら猫を救う』、『虐待を受けた経験のある犬』、『人間を信じられなくなった犬』、『かわいそうな猫』などと番組を作り、これぞ正義と言わんばかりの番組づくりを行い放送しています。
これを見た視聴者は『ひどいことをする人が居たもんだ(怒)』、『可哀想な猫を私も救おう』と思うわけです。
番組を何度か目にしたことはありますが、虐待を受けた動物というのがあまりに多く、その証拠などは語られることはありません。
虐待を受ける動物はまったく居ないということはないとは思いますがそんな動物ばかりではない筈です。
虐待を宣伝して視聴率を稼ぐというTV局の方法も倫理に反していると考えられます。
とはいえ、今すぐにでも行わなければならないことは給餌をする人に苦情を伝えることです。
地域社会では、近所の住民が餌付けの場面に遭遇して見て見ぬふりをした場合、それは承認行為となってしまいます。
餌付けをする人が他の餌付けをする人を見ることによって、それも承認行為となります。
やはり、餌付けをする行為が迷惑になるならば、それを目撃した時点で苦情を伝えることが必要でしょう。